読み返してみた
2010年5月22日 ワンピース他WJ感想
母親にチョッパーの話を見せるために、アラバスタ序章辺りから読み直してみた。
あ、チョッパーエピソードが収録されている巻は今母親が持っている。
うん、なんか、アラバスタ編から空島の間で、今までずっと読んでいた人が離れていった気持ちがわかった気がした。
とくに空島編は長い。それと、個人的にこう胸に響く物が薄い。
いや、好きなんだけどねどの話も、ただ泣けなかった。ドラム王国の話ではまたヒーヒー鼻水足らして泣いたんだけど、アラバスタと空島では泣けなかった。
それともう一つ思うことは、ワンピってやっぱり日本の漫画だなということ。
レビュー写真の巻の中でガンフォールが
『人の生きるこの世界に‘神’などおらぬ!!』
って言うシーン見て特にそう思った。
ただ、これはエネルという勘違い自称神に対しての台詞なわけだけど、それでも、これが宗教色の濃い国じゃ発行は出来なかったと思う。
他にもゾロが
『俺は神には祈らねぇ』
って言ってたり。(でもスリラーバークの墓の前で合掌していた。まぁ、この場合は神じゃなくて仏だけど。)
エネル自身も
『‘恐怖’こそが‘神’なのだ』
って、神は救済者ではないとはっきり言っているようなものだし。
ワンピって、特にグランドライン入ってからは、なんというか右左翼や宗教と科学という、絶対的に相反するものを象徴する話が多いから、この年になって改めて読み返すと色々考えさせられる。尾田っちはそれらをあくまでも中立的に描くから、どちらの考えにも一理あるなと思うところもある。
空島はそれが凄く極端に現れてるんだよなー。
私自身、神様っていうのは信じてないし救済者だとも思っていない、だから祈らない。
だけど『いただきます』と『ごちそうさま』は必ず言う。
つまり感謝はしている(神の恵みに対してじゃなくて、戴いた命に対してね。ご飯粒一粒一粒の中に神様がいるっていうあれ。)わけだけど、ここで凄く矛盾している。信じている神様がいないなら、それはつまり感謝する神様もいないはずだから。
空島編でも、クライマックスでスカイピアの住民がエネルという『神』を否定しておきながら、あの人たちを、この国をまもって!と『神』に祈りを捧げているシーンが凄く矛盾しているような気がした。
両者の立場からの心の奥底に眠る叫び声を堂々と漫画で表現できるのは、日本ならではなんだろうな。それが良い事であれ悪いことであれ。
なんて、無駄に語ってみた。
あ、チョッパーエピソードが収録されている巻は今母親が持っている。
うん、なんか、アラバスタ編から空島の間で、今までずっと読んでいた人が離れていった気持ちがわかった気がした。
とくに空島編は長い。それと、個人的にこう胸に響く物が薄い。
いや、好きなんだけどねどの話も、ただ泣けなかった。ドラム王国の話ではまたヒーヒー鼻水足らして泣いたんだけど、アラバスタと空島では泣けなかった。
それともう一つ思うことは、ワンピってやっぱり日本の漫画だなということ。
レビュー写真の巻の中でガンフォールが
『人の生きるこの世界に‘神’などおらぬ!!』
って言うシーン見て特にそう思った。
ただ、これはエネルという勘違い自称神に対しての台詞なわけだけど、それでも、これが宗教色の濃い国じゃ発行は出来なかったと思う。
他にもゾロが
『俺は神には祈らねぇ』
って言ってたり。(でもスリラーバークの墓の前で合掌していた。まぁ、この場合は神じゃなくて仏だけど。)
エネル自身も
『‘恐怖’こそが‘神’なのだ』
って、神は救済者ではないとはっきり言っているようなものだし。
ワンピって、特にグランドライン入ってからは、なんというか右左翼や宗教と科学という、絶対的に相反するものを象徴する話が多いから、この年になって改めて読み返すと色々考えさせられる。尾田っちはそれらをあくまでも中立的に描くから、どちらの考えにも一理あるなと思うところもある。
空島はそれが凄く極端に現れてるんだよなー。
私自身、神様っていうのは信じてないし救済者だとも思っていない、だから祈らない。
だけど『いただきます』と『ごちそうさま』は必ず言う。
つまり感謝はしている(神の恵みに対してじゃなくて、戴いた命に対してね。ご飯粒一粒一粒の中に神様がいるっていうあれ。)わけだけど、ここで凄く矛盾している。信じている神様がいないなら、それはつまり感謝する神様もいないはずだから。
空島編でも、クライマックスでスカイピアの住民がエネルという『神』を否定しておきながら、あの人たちを、この国をまもって!と『神』に祈りを捧げているシーンが凄く矛盾しているような気がした。
両者の立場からの心の奥底に眠る叫び声を堂々と漫画で表現できるのは、日本ならではなんだろうな。それが良い事であれ悪いことであれ。
なんて、無駄に語ってみた。
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